伝統文化を守る会

西村宏美のご挨拶




 日本中がバブル景気に沸き、衣食住の全てが欧米化し、ファッションは高級ブランドブームの時代、 日本の伝統文化である「着物」は、日本人から忘れられようとしていました。


 そして、祖母や母の着物も箪笥の中に沢山眠っていました。 そんな時代の波に逆らうように、私は着物地で創る洋服の専門店「グランベル」を開店しました。



 「もったいない・・・」という思いは、伝統文化を守る会を立ち上げる原点になったのかもしれません。それから時を経て、今では「もったいない」の日本人の精神文化が、世界中で賞賛されています。


 着物地で創る洋服の専門店「グランベル」開店当初、私は各地の織物産地を訪れました。蚕を育て繭から生糸を紡ぎ、草木染で染色し織物に完成する過程を見学しながら、創り手の思いを聞かせて頂き、私は伝統文化の奥深さを実感しました。


 中国産の生糸を仕入れた方が容易いのに、本物にこだわる伝統へのこだわりは、創り手の心意気(プライド)が支えているように思いました。特に、山形県の米沢市・長井市・白鷹町(置賜地方)を訪れた時は、どの織元の客間にも上杉鷹山公が祭られていました。


 その時、私は鷹山公の政策が東北随一の織物産地の礎となったことを初めて知りました。


 1961年、第35代の米国大統領に就任したジョン・F・ケネディは、「あなたが日本で最も尊敬する政治家はだれですか」という日本人記者団からの質問に「上杉鷹山(ようざん)」と答えたことで、鷹山公は江戸時代に財政危機に瀕する米沢藩の藩政建て直した名政治家として脚光を浴びました。


 当時、日本人記者団の中で上杉鷹山の名を知っている人はいなかっただろうといわれています。私にとって伝統工芸士や織元の方々との巡り合いは「温故知新」・・・「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」ということに目覚めさせてくれたのです。


 東北通産局 (当時の名称)のお力添えに支えられ、山形の織元の伝統織物と宮城のデザイナーが洋服を創り、東京青山を皮切りに各地でキャンペーン(着物の展示会と着物地で創った洋服のファッションショー)を日本各地で開催させて頂きました。ご来場のお客様には、伝統衣文化「着物」の魅力を再確認して頂けたという手ごたえを感じました。


 それは衣に限らず、衣食住全ての生活の中に息づく日本の伝統文化を愛おしむ心を大切に育んでいきたいとの思いに繋がりました。


 そして1997年9月に「伝統文化を守る会」が誕生しました。


 伝統文化を守る会は、東日本大震災を機に数年間その活動を休んでいました。それは、私事の対応に追われた事と、このような事態に会員の皆様には更新の手続きも気後れし、休眠状態のまま時が過ぎてしまいました。


 それでも、震災の年からずっと会費を納めて下さった会員がいました。たった一人だけの会費が毎年通帳に重ねて印字されていて、見つめているうちに、数字がにじんで見えなくなってしまいました。それが、新生「伝統文化を守る会」再発足のきっかけとなりました。


皆様には「伝統文化を守る会」の趣旨に、ご賛同いただけることを願っています。






           



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